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THINK4

詩人の文月悠光さんと
「あたらしい時代のことばの価値」を考える。

文月悠光(左)
ふづき・ゆみ/1991年北海道生まれ。詩人。高校3年生の時に発表した詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、第15回中原中也賞を最年少受賞。現在は詩集の発行を始め、詩の朗読やアイドルへの歌詞提供、エッセイや書評の執筆などで幅広く活躍している。近著に詩集『わたしたちの猫』、エッセイ『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)など。11月、デビュー詩集『適切な世界の適切ならざる私』の文庫版がちくま文庫より刊行予定。
カツセマサヒコ(右)
1986年東京都生まれ。小説家、ライター。大学卒業後、2009年より一般企業に勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに編集プロダクションに転職し、17年に独立。現在はWEBライター、編集者として活動し、Twitterのフォロワー数は14万人を超える。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)は、発売2ヵ月で6万8,000部を突破した。
ーーSNSが台頭し、誰もが簡単に不特定多数に対して言葉を発信したり、顔の見えない誰かの言葉に触れたりできるようになった今、プロの書き手としてどうあるべきか、悩むことも少なくない。そんな中で、紙媒体にWEBメディア、SNSと、チャネルを様々に横断しながらブレずに言葉を世に出し続けている詩人の文月悠光さんのことが、ふと頭に浮かんだ。詩と小説でアプローチは異なれど、同じように言葉のことを考え続ける彼女と、少し先の未来のことを話してみたくなった。

意味、音、リズム、ビジュアル。
詩は、音楽にも似た複合的な表現である。

カツセマサヒコさん
カツセマサヒコさん:
文月さんがデビューされたのは2009年ですよね?
文月悠光さん
文月悠光さん:
はい、最初の詩集は2009年です。
カツセマサヒコさん
僕がちょうど社会人になったのもその年で、「自分はようやくサラリーマンになったのに、かたや文月さんは10代で中原中也賞を獲るなんてすごいな」と意識したのを覚えています。以来一方的に親近感と尊敬の念をもって、作品を読ませていただいていました。
文月悠光さん
それは嬉しいです……! ありがとうございます。
カツセマサヒコさん
文月さんが書く「詩」と、多くの「小説」では、同じ言葉を使った表現でも全く異なるアウトプットになっています。僕は小説を書くとき、プロット(設定の骨組み)を考えてから書き始めることが多いですが、文月さんはどんなところから考え始めるんですか?
文月悠光さん
日常的なメモからですね。「何を書いてもいい」と決めているノートがあって、生活の中で思いついた言葉をとにかく書き溜めています。日本語として成立していなくても、生理的な感覚でパッと出てきた言葉だったり、この音が気持ちいいなと感じたりするものをひたすら並べていくんです。時間を置いてから読み返して、使えそうな言葉を軸に、プロットを組み立てて、詩をかたちづくっていきます。

自らを「メモ魔」と称する文月さんが日常的に思いついた言葉を書き連ねたノート。30冊にも及ぶバックナンバーがある。

カツセマサヒコさん
そうなんですね。勝手なイメージですが、詩にとっては朗読も大切な表現方法のひとつで、意味はもちろん、実際に声に出したときの音の響きやリズムも大事なのかなと思っていて。選ぶ言葉は、意味と音、どちらを重視して選んでいるんですか?
文月悠光さん
もちろん、読者に伝えるためには「意味」も必要ですし、おっしゃる通り、音やリズムも大切。両方を重視しながら、一語や一行単体と共に、全体的なバランスを見ています。同じフレーズでも、置く場所によって印象や効果がかなり変わってくるので、何回も並び替えて試します。例えば、緊張感のあるトーンを少し緩ませて終わりたいから、この柔らかい言葉を合図に、解放される方向に持っていこうと考えたり。濁音の入る位置も検討しますね。緩急と音の響きを考える過程は、楽譜を書く感覚に少しだけ近いのかもしれません。
カツセマサヒコさん
楽譜かあ、面白いですね。ご自分が朗読するためのリズムだけでなく、読者自身が声に出して読むときのことも意識されているんですか?
文月悠光さん
そうですね。最終形態が文字ベースの詩集の場合は、読み方も読み手に委ねることになります。ですが、表記や改行位置を操作することで、読みの速度はある程度可能です。同じ言葉でも、ひらがな表記と漢字で、読むスピードが変わるんですよ。あとは、一文を短いフレーズごとに改行して区切る「行分け」でゆっくりめに誘導したり、勢いを持たせたい場合、普通の文章のように散文形式で表記したり。詩はとても自由なんです。

恋にまつわる26篇を収録した第3詩集『わたしたちの猫』より、文月氏が思い入れがあるという「ばらの花」。ナナロク社/1,400円。

カツセマサヒコさん
へ~! たしかに文月さんの詩を見ていると、行分けが効果的に差し込まれている印象を受けます。
文月悠光さん
ここで息継ぎをするのが自然かな? と、ブレスを入れるような感覚で改行を入れています。あとは、詩全体の見た目の美しさを考えて、整えるために入れることもあります。
カツセマサヒコさん
言葉の並びを、意味や音だけでなく、ビジュアル的にも意識するんですね。
文月悠光さん
そうなんです。その詩人によってスタンスは異なりますが。口語自由詩というのはある意味、詩人一人一人が自分の詩型を発明しているのと同じなんですよね。詩人によっては、一篇の詩を森にたとえて形づくる人もいるし、四角い箱に収めるイメージで一行ごとに字数を揃える人もいる。私はどちらかというと、意味を重視して散文的に書くので、意外と一行の長さがバラバラです。
カツセマサヒコさん
そうですよね、文月さんの詩の、不揃いな文末もすごくいいなと思っていました。

逆転しつつある、読み手と書き手の関係。

カツセマサヒコさん
それにしても詩って面白いですね……、意味はもちろん、音もリズムも考えるし、ビジュアルも意識して書く。一方で、詩は要素がそぎ落とされている分、世に出た時、読者が文月さんの意図する意味やリズムで読んでもらえるかどうかがわからない。そこについて、不安はないんですか?
文月悠光さん
もちろんありますが、やっぱり、読者を信頼しないと手渡せないものが詩なんだと思います。作者の意図を超えた解釈をされることに、面白さや広がりを感じます。そうは言っても正直私も、元々はあまり読者を信じられなかったんです。それが、エッセイのWEB連載を始めてから少し気持ちが変わりました。
カツセマサヒコさん
具体的には、どういう変化だったんですか?
文月悠光さん
詩集だけを出していた頃は、アマゾンのレビュー欄やSNSでの感想を見ても「この表現に圧倒された」といった少し距離のある反応や、「10代ならではの感性で~」など表面的な記号で判断される場合が多くて。結局は何を書いても、「若手の女性詩人」という”記号”として消費されている気がしてしまって、読者の顔が見えなかったんです。

文月氏初のエッセイ集『洗礼ダイアリー』より。カシワイ氏による挿画も印象的。

カツセマサヒコさん
ああ、なんとなくわかるような気がします。
文月悠光さん
それがエッセイでは、いただくメッセージやTwitterで流れてくる感想から、自分の書いたものが、より読者の私的な空間で読まれているということが伝わってきました。WEB連載をまとめた『洗礼ダイアリー』というエッセイ集を出したときに、山形に住む20代の会社員の女性から感想のハガキをもらって。地元の老舗書店で買ったこと、自分にもこういう経験があったという個人的な内容が、丸っこい文字でびっしりと書いてありました。きっとエッセイって、読者自身が自分の経験を語りたくなる力を持っているんです。読み手が背負う事情や悩みが感想からもうかがえて、読者の顔が見えてきたんですよね。それ以来、詩であれエッセイであれ、書くことがより楽しくなった気がしています。
カツセマサヒコさん
それって、エッセイの効果でもあると同時に、SNSの効果にも通じそうですよね。2011年頃から、Twitterが一気に広がったように記憶しているんですが、文月さんの元に届く感想も圧倒的に増えたんじゃないかなと思って。
文月悠光さん
そうかもしれないですね。
カツセマサヒコさん
でもみんなが言葉を使って気軽に発信できるようになり、少し大袈裟ですが、プロとアマチュアの境界線が曖昧になったようにも感じています。僕自身、ただツイートをするだけで、「お前はライターのくせに、その程度の文章しか書けないのか」って言われることもあって(笑)。
文月悠光さん
うーん……。私自身、Twitter以前からブログで「詩人のくせに」といった意地悪な反応はありましたね(笑)。紙の出版を中心とした旧メディアでは、書き手が上の立場で主張や思想を発信して、それに追随する読み手がいるという構図でした。でも近年WEBメディアが普及したことで、書き手と読み手が、「コンテンツの提供者対ユーザー」という構図に変わった気がするんです。対等、または「お金を払ったお客さん」である読者の方が上になって、書き手と読み手の勾配が逆転した。書き手も自分の書いた記事のアクセス数を無視できなくなりました。書くことが「サービス業に近づいた」という声もあります。
カツセマサヒコさん
なるほど。そうですよね。
文月悠光さん
それは時代の変化なので仕方がない面もある。ならば変化を無視することなく、今の時代の人々が読んで刺さる言葉、寄り添う言葉を自分も出していきたい。一方で文学界隈には、自分の周りにはまだまだ紙媒体で出版してこそ価値があると考えている人も多いし、「商業主義には迎合しない」という立場の人もいる。私も紙の本は大好きで、出版だからこそできる凝った装丁のデザインなどに強く惹かれます。紙の本が消える、という言説も過去にはありましたが、もうしばらくはWEBや電子書籍と共存していくのかなと思います。

表現の言葉は、心のバロメーターでもある。

カツセマサヒコさん
誹謗中傷とは言わないまでも、辛辣なコメントもダイレクトに届いてしまう時代にどう立ち向かうのかも、考えますよね。例えば、僕のツイートやライターとしての仕事は「ポエムだ」って揶揄されることがあるんです。僕自身が言われることは別に良いのですが、詩そのものにマイナスなイメージが想起されるような気がして、嫌だなと。
文月悠光さん
「ポエム」や「ポエマー」といった言葉を侮蔑的な意味で発する人が一定数いますよね。詩人という仕事をしている限りはずっと付いて回ることなので、私なりにも何度も考えてきました。そこで辿り着いたのは、揶揄する人たちは、「分からない言葉」に対して恐怖心があるのだろう、ジャンルやレッテルで括りたいんだろうな、ということです。
カツセマサヒコさん
カテゴライズして排除したいと。
文月悠光さん
はい。私は言葉には2種類あると思っています。例えば、今お話ししている言葉は、伝達の言葉。コミュニケーションと、情報を伝達するために使っていますよね。意味や情報を効率的に伝えることが目的です。そしてもう一つが、表現の言葉。これは音や響き、リズムなどが重視される言葉です。この表現の言葉が、伝達の言葉として受け取られたときに、「意味が繋がらない、分からない」という違和感を生むんじゃないかなと。
カツセマサヒコさん
ああ、なるほど。
文月悠光さん
だからある人は、「こんなのポエムだ、意味がわからない!」って切り捨てて揶揄するし、ある人は、「私にはこの作品を理解する感性が乏しいんだ」と自分を責めてしまう。こんなふうに、読んだ人の心の様子やメンタルの状態が表れやすいのが表現の言葉なんです。「これは自分にとって大切な言葉だな」あるいは「今は読むのがしんどいな」など、ポジティブな反応であれネガティブな反応であれ、まずは素直に感じ取ってみてほしい。それが生きた人間として、表現の言葉と出会う醍醐味。詩は心のバロメーターにもなるんです。
カツセマサヒコさん
すごく腑に落ちます。たくさんの言葉にこれだけ身近に触れられる今、俯瞰的な視点を持って言葉と一定の距離を取りながら付き合うべきなのかもしれないですね。一方でSNSのポジティブな面を見ると、ツイッターをきっかけにいろんなチャンスをもらった僕は、時代の恩恵を受けた側だとも思っています。というのも、文学にはたくさんの新人賞があって、プロの書き手としての道を進むにはすでに確立している王道のルートが存在しているにもかかわらず、WEBでの活動を通じて、どうにか書き下ろし小説を出せないかと考えていたので。
文月悠光さん
そうですよね。カツセさんのように、WEBを通じて掘り起こされてきたいい書き手もたくさんいる。編集者の目を通さないとデビューできなかった時代に比べて、随分フラットに本を出したり作品を発表したりできるようになったのは、良い点だと思います。
カツセマサヒコさん
そう、機会は増えましたよね。先ほど、文月さんは身の回りで気になった言葉を日々収集されているとおっしゃってましたけど、WEBやSNSに載っている優れた言葉からインスパイアされることもあるんですか?
文月悠光さん
ありますね。エバーノートというメモアプリを使っていて、気になった記事や言葉を保存しています。今では保存記事が700件を超えてしまっていて、全部見返すのは無理だろうなとは思うんですけど(笑)。
カツセマサヒコさん
エバーノートは検索できるのがいいですよね。
文月悠光さん
そうなんですよね。普段は、考えを整理するために、紙とペンでメモを取るほうが多いのですが、やっぱりクラウドの良さとアナログの良さ、両方を生かしたいなと。
カツセマサヒコさん
情報収集のほか、実際に執筆されるときにもPCは使います?
文月悠光さん
使いますね。仕事の場合、最終的にはデータで納品をするので、手書きとWordでの作業を組み合わせて執筆に取り組んでいます。
カツセマサヒコさん
PCを選ぶ上で重視しているポイントはありますか?
文月悠光さん
自宅はもちろん、喫茶店をハシゴして執筆することも多いので、PC本体の軽さは大事ですね。あとは、電源なしでも8時間以上は動いて欲しいな。
カツセマサヒコさん
FMVの新モデル・CHは持ち歩きにも適した軽量モデルで、家にも外にも馴染むデザインを意識して作られたそうです。あと、スマホからBluetoothで音楽を転送してスピーカー代わりにも使えるらしいですよ。

カラーバリエーションが豊富なのもCHシリーズの特徴。「上品な色使いが目を引きますね」とカツセ氏。

文月悠光さん
それはいいですね! 執筆するとき、音楽の力に頼って書くことも多いんです。
カツセマサヒコさん
へ~! どんなのを聴いているんですか?
文月悠光さん
歌詞がある曲もガンガン流してますよ。「この人の曲を聴くと書ける」という枠が自分の中にあって、「自動筆記用」という非公開のプレイリストをSpotifyで作っています(笑)。映画『誰も知らない』の主題歌を歌っているタテタカコさんなどが筆頭ですね。ソロのアーティストが多いかもしれません。
カツセマサヒコさん
音数とか、要素がシンプルな曲が多いんですね。他に、PC選びで欠かせない条件はありますか?
文月悠光さん
長時間向かい合うことが多いので、キーボードの打ちやすさでしょうか。このCHはキーごとの間隔=ピッチが心地よい感じがしますね。これなら筆が進みそうです!

本体と同じ色があしらわれたキーボードは、カナ表記がなくシンプル。紙ベースでプロットを立てたあと、PC作業に移行しWordで原稿化。仕上がった原稿は印刷し、気になるところに修正を書き込んでから、またデータへ。その工程を納得がいくまで繰り返すのが、文月氏の作業スタイル。

クローズドなコミュニティで、
言葉の価値は緩やかに変化する。

カツセマサヒコさん
最後に、少しだけ未来の話を聞きたいです。新型コロナウイルスの影響で生活スタイルが大きく変わる中で、言葉やそれを取り巻く環境はどんな風に変わると思いますか?
文月悠光さん
そうですね……、世の中全体は意外と変わらない気もするんです。というのも2011年に東日本大震災が起きた時、節電の影響でしばらく東京の街が暗くなりましたよね。あの時、これから日本はどうなっちゃうんだろう、という不安感とともに、これまでの負の部分が断ち切られるのでは、という期待感もありました。
カツセマサヒコさん
確かにそうですよね。でも振り返ってみると、そこまで変わっていない。
文月悠光さん
むしろ、息苦しさ自体はひどくなってないかな? と感じるところもあって。さらにSNSの力が強くなって、俗に「自粛警察」と呼ばれますが、正しさを試されているような窮屈さ、不自由さもある。今の状況がいい未来を呼び込むとはとても思えないんですね。だからきっと、その息苦しさに疲れた人たちが、今後SNSよりもゆるいコミュニティを作り出すんじゃないかなと思っているんです。
カツセマサヒコさん
ああ、今はオンラインサロンのような、まさに小さなコミュニティの先駆け的なものも出てきていますよね。
文月悠光さん
そうなんです。同じ価値観を持った人同士が集って、SNSよりもクローズドなコミュニティを作るのがより一般化するのかなと思います。そうなった時に、読み手と書き手の関係性も、また緩やかに変化していくんだと思います。
同じ言葉とはいえ、意味だけでなく音やリズム、並んだ時のビジュアルにまで思考を巡らす詩という表現の難しさと面白さに惹かれた。これだけ言葉の発信に溢れた今、受け手に解釈を委ねる部分が大きい表現方法を追求できるのは、文月さんに勇気と、確固たる軸があるがゆえ。同じく言葉の表現に携わる身として、尻を叩かれたような気持ちになった。
言葉は武器にも刃にもなる。SNSという大海原であろうと、これから生まれゆくクローズドな場であろうと、自分の知らないどこかの誰かが手にとることを考えた表現を諦めてはいけない。氾濫する言葉に対して、俯瞰的な視点で、自分の物差しを持って向き合うこと。それが、読み手にも書き手にも求められていることなのではないだろうか。

文月氏とカツセ氏が、その豊富なカラーバリエーションに沸き上がったのが、13.3型のモバイルノートPC、富士通パソコンFMV「LIFEBOOK CH90/E3」、「LIFEBOOK CH75/E3」。ニュアンスのあるカラーと細部までこだわった上質なデザイン、スマホとのシームレスな機器連携など、家の中でも外でも、仕事でも遊びでも快適に使える一台。

富士通パソコンFMV「LIFEBOOK CH90/E3」、「LIFEBOOK CH75/E3」
OS:Windows 10 Home 64ビット版
CPU:インテル® Core™ i5-1135G7 プロセッサー
メモリ:8GB
バッテリ稼働時間:約13.4時間(CH90/E3)、約16.8時間(CH75/E3)
Office:Office Home & Business 2019(個人向け)

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interview/Masahiko Katsuse photo/Koichi Tanoue, Hiromi Kurokawa(book) text /Emi Fukushima

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