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THINK2

映像作家・ダンサーの吉開菜央さんと
「これからの身体との向き合いかた」を考える。

吉開菜央(左)
よしがい・なお/1987年山口県生まれ。映像作家、ダンサー、振付師。米津玄師「Lemon」のMVにおいて振り付けを担当し、出演するなど、ダンサーとして活動する一方、身体的な感覚や現象を題材にした映像作品を手がけるクリエイターとして活躍。監督作『Grand Bouquet』は、第72回カンヌ国際映画祭、監督週間の短編部門に正式招待された。
カツセマサヒコ(右)
1986年東京都生まれ。小説家、ライター。大学卒業後、2009年より一般企業に勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに編集プロダクションに転職し、17年に独立。現在はウェブライター、編集者として活動し、Twitterのフォロワー数は14万人を超える。デビュー小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)は、発売2ヵ月で6万8,000部を突破した。
(聞き手・カツセマサヒコ)----
人とコミュニケーションをとることも、何らかの表現に触れたり、発信したりすることさえもオンラインで完結できるようになり、あらゆる物事とリアルに接点を持つ機会が減っている中、生身の身体が受け取る感覚はこれからどんなふうに変わっていくのだろうか。小説家、作家として言葉の表現ばかりを考えてきた僕にとっては、対極にあり未知のものでもある身体感覚のことが知りたくて、映像作家でダンサーの吉開菜央さんに会いに行った。

描きたいのは、自然に属する”肉袋”としての人間。

カツセマサヒコさん
カツセマサヒコさん:
吉開さんの作る映像って、人間は出てくるんだけど、言葉を交わさなかったり、ものすごく身体の一部に寄ったカットで出てきたり。かと思えば逆に、すごく引きの大自然の画の中にポツンと佇んでいたりもする。切り取り方がユニークですよね。
吉開菜央さん
吉開菜央さん:
ありがとうございます。確かにシーンによっては、人間ではなくこの腕の毛を映したい、みたいに思っているところはありますね(笑)。

『ほったまるびより』
吉開が監督を務めた37分間の短編映画。2015年の文化庁メディア芸術祭にて新人賞を受賞した。劇中にセリフはなく、身体の動きと、身体から出る音によって構成されている。タイトルは、髪の毛や爪、体臭、悲しみや怒りの感情といった「ほうっておくとたまるもの」にちなんで。

©Nao Yoshigai

カツセマサヒコさん
思考する文化的な生き物じゃなくて、呼吸する自然の一部として人間を捉えているような印象を受けました。
吉開菜央さん
そうですね、人間って社会生活をしている生物というよりは、ただの肉袋だって捉えていて。これは身体論を研究されていた野口三千三先生の言葉で、人間は、薄い皮の中に、内臓や骨が浮かんでいる肉の袋なんだという考え方なんですが。
カツセマサヒコさん
肉袋……、初めて聞いた考え方です。
吉開菜央さん
これは、性別とか見た目の美醜、貧富とか、パーソナリティを全部剥ぎ取った、ただの “身体”という解釈もできるんですよね。
カツセマサヒコさん
人間には上下もないし、人間が自然や動物の支配者でもない。それが作品から伝わってきますよね。
吉開菜央さん
まあ、とはいえ現実はそうじゃないから、そうありたいと思っているところもあります。だって動物と人間の上下はないと思いながらも結局、家にゴキブリが出たら、思いっきり叩いちゃう。人間って残念だなと思い知らされます(笑)。
カツセマサヒコさん
そもそも創作活動をする上で、一貫して身体をモチーフにするようになったのは、どんなことがきっかけだったんですか?
吉開菜央さん
10代の時、本当に人間が嫌で嫌で。しゃべることも、感情的なものもとにかく嫌だったんです。だからか、喜怒哀楽、起承転結みたいなきれいな物語に収まっちゃうのを避けたくて。そこで辿り着いたのが、身体にフォーカスを当てて表現することでした。
カツセマサヒコさん
なるほど。今は映像作家とダンサーの2軸で活動されていますが、そもそも、映像作家って、ある被写体に対してカメラをどう動かすかを考える仕事で、ダンサーはカメラに対して、どう動くかを考える仕事ですよね。相反する2つの立場を両立させることって、吉開さんの中ではどんな相乗効果があるんですか?
吉開菜央さん
実は、私にとってはどちらも同じなんです。普通、映画監督が身体表現を映像に収めるとしたら、フレームの中で踊る人を撮る、という感覚だと思うんですけど、私は映像そのものがダンスみたいだと思っていて。編集する時も、振り付けするような感覚というか。

『Grand Bouquet』
吉開が監督を務めた15分間の短編映画。言葉の代わりに花を吐く女を中心に、罵詈雑言が飛び交う現代に超巨大な花束を送る、情動と暴力の衝突を描いたヒューマンホラー作品。2019年のカンヌ国際映画祭では監督週間短編部門に正式招待された。

©Nao Yoshigai

カツセマサヒコさん
うわ~それ、すごく面白いですね。
吉開菜央さん
振り付けって、リズムを決めていくことなんです。ここで止まる、ここで力を抜いてフワーッと腕を動かす、みたいな感じが、ここで切って、こう変える、っていう映像の編集点の作り方にも通じるんですよね。それが少し音楽的で、身体で音楽を奏でているのと似ている感覚で。例えば、映画『マッドマックス』シリーズのことも、私は壮大な音楽だと思っちゃっている。
カツセマサヒコさん
え、僕が知っている『マッドマックス』と、同じもので合っています?(笑)
吉開菜央さん
合ってると思います(笑)。

身体表現を通して、
「情動」を表し、心を動かすということ。

カツセマサヒコさん
アーティストのMVも撮ったり出演されたりしていますよね。先に音楽が与えられた時の作り方は、主体的な映像制作での作り方とは違うんですか?
吉開菜央さん
違いますね。特にMVの時は歌詞があるので、かなり言葉に引っ張られますし、振り付けや出演だけで関わることも多いので、アーティストや監督の意図を汲み取って表現するようにしています。自主制作の場合は、まだ見ぬ感覚を捉えようとするというか。枠組みはちゃんと作るんですけど、行き着く先がわからないままに始めていく。
カツセマサヒコさん
僕も、インタビューの仕事と小説を書くことは、そもそも使う筋肉が違うなと思っていて。人に話を聞いて、アウトプットするというのは、0を1にするんじゃなくて、1を10にするような仕事なんですが、小説を書いていた時は、誰も答えを持っていないので、0を1にすることを意識してやりました。
吉開菜央さん
わかります。でも私の場合、最近は使う筋肉が少しグラデーションになってきたような気がしていて。
カツセマサヒコさん
それは具体的にはどういうことですか?
吉開菜央さん
MVに関わるようになってから、やっぱり言葉とか感情からは逃れられないなと思い始めてもいるんです。最初私は、自分の作品は、届く人に届けばいい、みたいな気持ちでやっていました。でも響かない人には全く響かない現状に、どうして伝わらないんだと気持ちが落ちた時期もあって。それがMVをきっかけに、人が普段持っている言葉とか、感覚や状況を入れてみたら、伝わり方が格段に広がることに気づいたんです。
カツセマサヒコさん
吉開さんが作品において大切にしていることに「情動」という言葉がありますよね。感情になる手前の心の機微を描くことだと思うんですけど、その曖昧な部分ってえてして商業的になりづらい。今って、泣けるとか、エモいとか、わかりやすい感情がウケるなと思って、僕はあっさりそれを目指すタイプなんです。でも吉開さんの作品を見ていると、その「ウケる」とは別で勝負することにやりがいを感じているんじゃないかなと。
吉開菜央さん
そうですね。でも、もちろん共感してもらえることは嬉しいです。とある青森の農家のおじさまがたまたま私の作品を観に来てくれた時、僕は死ぬ前にこの映像を絶対に思い出すと思いますって声をかけてくださって。こんなにも違う場所にいて、全く違う人生を生きてきたのにそこまで響いたのかと。
カツセマサヒコさん
それ、すっごく嬉しいやつですね。
吉開菜央さん
その時、映像の力を改めて感じました。私は、ピナ・バウシュの舞台『私と踊って』を初めて観た時に、今までダンスで味わったことのない“感情”を味わったんですよ。かっこよさとか、音に乗る気持ち良さだけじゃなくて、ダンスって人の心を動かすことができるんだと知って。それに一歩近づく嬉しい言葉をもらえて、光が見えたような気がします。

『私と踊って』
モダンダンスの草分け的存在であるドイツの舞踊家、ピナ・バウシュによる舞台作品。初演は1977年で、2008年にリバイバルされ、日本でも公演が行われた。ドイツの古歌謡に乗せて展開する劇中には、身体表現のほかに台詞や歌も盛り込まれており、女が「私と踊って」と懇願するように何度も繰り返す言葉が象徴的である。

見直すべきは、身の回りのものとリアルに触れる感覚。

カツセマサヒコさん
今は新型コロナの影響でリモート化が進む中で、あらゆるものにリアルに接する頻度が落ちていますよね。そんな中での身体表現の可能性を、どんなふうに考えていますか?
吉開菜央さん
そうですね……、ダンスの文脈で言うと、人に触れて、相手の体重や力を利用して身体を動かす「コンタクトワーク」というメソッドがあるんですけど、実はこれがリモートでもできることを最近発見しまして。というのも、身の回りのものに触れられるじゃないですか。例えば自分の腕。二の腕の内側とか、脇の下とか、普段あまり触ることがないようなところを自分で触って身体を動かしてみる。で、次はちょっと広げて、「あ、実は椅子もお尻で触ってるな」と気づいていく。そうすると、「でもよく考えたら、椅子が私に触ってるのかな?」みたいにどんどん感覚が広がって、一方的に触っているだけでなくて、押し返されるのを感じられる。そうやっていくと、人に触れられなくてもリモートで独創的な動きが生まれるっていうのに気づきました。

コロナ禍での自粛期間中、自宅近所の公園や神社で思うがままに身体を動かすのが息抜きだったという。

カツセマサヒコさん
触れる面から、意識していなかった自分の輪郭が見えてくるっていうことですか?
吉開菜央さん
そうですそうです! それをやると、若い大学生たちも家にあるゴミ袋と真剣に戯れたりしていて、すごく面白いんですよ。
カツセマサヒコさん
お話を聞いていると、自分の身体との向き合い方とか身体と外との境界意識が僕とは随分違うなと思っていて。僕、普段は風呂場で「身体洗ったっけ?」くらいの感覚なので(笑)。
吉開菜央さん
え、そうなんですか~
カツセマサヒコさん
はい。吉開さんは日々意識されているんですか?
吉開菜央さん
普段はそんなに繊細ではないんですが、モードに入ると意識しますね。例えば、映像の編集作業は、何度も何度も同じ人の動きを見て、音を聴いて進めていくので、感覚が鋭敏になってくるんですよね。映像をやって身体感覚が鍛えられたなとも思います。
カツセマサヒコさん
ダンスをするよりも、映像に向き合う方が、身体感覚が磨かれると。
吉開菜央さん
だって映像だと、ズームしたりマクロレンズを使ったりして、人間が見えないくらい細かく見られたりするじゃないですか。人間にない身体感覚を手に入れられるので。
カツセマサヒコさん
なるほど。となると、それこそスマートフォンとかタブレット、PCみたいなデバイスは身体拡張のツールになっているということですか?
吉開菜央さん
そう思いますし、デバイスによって身体の感覚も変えていると思います。普通、デバイスはあくまでも生活を便利にするために一方的に使っているものだと思うかもしれないですが、食べ物と同じくらい、自分の身体にも直接的に作用するものなんじゃないかな。
カツセマサヒコさん
映像編集などでPCを使うことも多いと思いますが、こうあったらいいなと思っていることはありますか?
吉開菜央さん
軽さは本当に大事ですね。映像の編集はデスクトップタイプを選ぶんですけど、言葉を書いたりラフアイデアを考える時は外で風とか光を感じながら作業ができた方が捗ったりして。たまに近所の根津神社や上野公園で身体を動かしたり、PCを開いたりもします。だから、持ち運ぶ時にストレスを感じないかどうかも重要ですね。
カツセマサヒコさん
FMVの新モデル・UH-X(テン)は、世界最軽量だそうです。
吉開菜央さん
へ~。これ(UH)を外に持って行って自然の中で作業したいです!
カツセマサヒコさん
ああ、そういう使い方、いいと思います。この軽さ、本当にびっくりしたんです。何を除いたらここまで軽くなるんだろうって。外装や中身を徹底的に軽量化したみたいなんですけど。
吉開菜央さん
軽さはこれからの機材すべてにおいて大事だと思っていて。結局、カメラクルーに女の人が少ないのも、機材が重すぎて長時間担いで撮るなんて、普通はどうにも無理なので(苦笑)。軽さは嬉しいです。

その軽さに思わず笑みがこぼれる両者。「世界最軽量とは聞いていたけど、想像の2倍は軽かった」とカツセ。

カツセマサヒコさん
ほかに、PC選びで欠かせない条件はありますか?
吉開菜央さん
何だろう、気持ち良さかな。手を乗せた時のちょっとした振動とか、そもそもの触り心地。あとは、画面の変わり方とかですかね。このUHはパッパッと画面が変わっていったのが、スムーズで気持ちよかったです。

これからの時代に必要なのは、
一呼吸をおく、隙間。

カツセマサヒコさん
これまであらゆる形で身体を表現してきたと思うんですが、これからの心地よい身体のあり方について、どんなことを考えていますか?
吉開菜央さん
個人的には、20代の頃は、足を高く上げたいし、素早くたくさん回りたいし、身体能力をどんどん上げて高みを目指しているところがあったんですけど、30代に入って、脱力も気持ちいいなっていう感覚になってきました。
カツセマサヒコさん
分野は違えど同世代なので、その感覚はすごくわかるな~。
吉開菜央さん
一方で世の中を見ると、CMとか広告の映像も、早いテンポで切り替わりますよね。熱とスピードがすごい上がっているな~と思う。でも、それってある意味当たり前なんですよね。もともと人間は森の中に暮らしてきて、外敵から身を守るために、動くものと鳴るものにはすごく反応するようにできている。だから自然とテンポ感が上がってしまうのはすごくわかるけど、私も世の中も、もう少し隙間が必要なんじゃないかなって。
カツセマサヒコさん
なるほど、隙間って、心の余裕とも捉えられますよね。僕自身、コロナ禍のこの数ヵ月、リモートでなんでもできるようになった結果、打ち合わせの量が3倍くらいに増えたんです。せっかく空いた時間にどんどん詰め込んでしまうのは、もったいないししんどいですよね。
吉開菜央さん
それを「やめよう」って言える隙間が欲しいですよね。自意識でいっぱいの身体ではなくて、自然の一部であり生物としての身体に立ち戻ってみると、物事の見方が変わってくるかもしれません。例えば、4DXみたいな迫力ある映像体験よりも、線香の煙の、匂いもするし触れられる、私の目のフレームが、直接切り取っているリアルな映像の方が魅力的に見えることもあるんじゃないでしょうか。今をいいきっかけにいったん立ち止まって、手元の身体感覚を大切に、社会も人も、互いに隙間を持てる世の中にシフトしていけたらいいなと思っています。
言語表現に向き合う僕と身体表現に向き合う吉開さん。彼女のことをどこか対岸の人だと思っていたが、身体の輪郭をもっと自覚しようとし、身の回りのものとの接点や触れ合う感覚を大切にする姿勢には思わずハッとさせられた。テクノロジーが発展した分だけ、本来なら生まれてくるはずの”隙間”。仕事であれ、都市であれ、時間であれ、生まれた隙間にどんどん物事を詰め込んでいったのが高度経済成長期から平成30年間の流れだったとするならば、その連鎖を断ち切って、リセットするいいタイミングなのではないだろうか。自然の一部である”肉袋”としての人間に立ち戻った時にこそ、本当に心地よい社会が見えてくるのかもしれない。

カツセ氏と吉開氏が、その軽さに驚いたのが、13.3型の世界最軽量約634gモバイルノートPC、富士通パソコンFMV「LIFEBOOK UH-X/E3」。圧倒的な軽さ&PCle接続に対応したSSDの搭載で高速起動。移動中でも近所の公園でも、持ち運びをためらうことなくささっと取り出して快適に作業できる。

富士通パソコンFMV「LIFEBOOK UH-X/E3」
OS:Windows 10 Pro 64ビット版
CPU:Core™ i7-1165G7
メモリ:8GB
バッテリ稼働時間:約11時間
Office:Office Home & Business 2019(個人向け)

※13.3型ワイド液晶搭載ノートPCとして世界最軽量。2020年9月1日現在、富士通クライアントコンピューティング調べ。

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interview/Masahiko Katsuse photo/Koichi Tanoue text /Emi Fukushima

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