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私の両親は「インターネット」ということばを知っている。 妻の両親も「インターネット」ということばを知っている。 私の兄夫婦も「インターネット」ということばを知っている。 ちょっと待てよ... もしかして、みぃーんな知っているのではないだろうか。 やったことのあるなしに関わらず、言葉としての「インターネット」は、かなり知られているのかもしれない。 そういった統計があるか分からないので、ここから先は推測でしかないのだが。 言葉としての「インターネット」は、少なくとも国民の4人に1人は知っているのではないだろうか? (これは全くの私の想像であるので、あらかじめご了承願いたいのだが) 「もっと多いだろう」又は「そんなに多くないだろう」と、いろいろなご感想があるかもしれない。 10代〜30代までの人ならば、そのほとんどは「インターネット」ということばを認識している。 と、私は想像している。 しかし、実際にやっていない人にとっては、「なんとなくイメージしているだけ」といえるだろう。 テレビのコマーシャルでは、何かと「インターネット」ということばが連呼されている。 電車の吊り広告をみると、あちこちにURLアドレスが入った広告を目にする。 「聞いたことはあるけど、その実態はなんとなく分かるだけ」という言葉があるとしたら、インターネットはその筆頭にあがるのではないだろうか。 例えばこれがバンジージャンプなら(唐突に飛躍した例えで申し訳ない)話は別である。 これこれこういう具合に、体にくくりつけられたゴムがびょーんと伸びて....という説明をすれば、なんとなくイメージしやすいだろう。 しかしインターネットは、そう簡単に説明できるものではない。 説明が難しいのである。 特に正月や法事なんかのタイミングで、親戚が一同に集まる時。 自分の仕事の説明がこれほど難しい瞬間はない。 叔父「今どんな仕事やってるんだい」 私「うぅーん、まぁインターネット関連の仕事」 叔父「あぁ、あのコマーシャルでやってるやつか」 私「うん」 叔父「これからはインターネットだよなぁ...よく分からんが」 よく分からないけど「これからはインターネットの時代である」と、言わせてしまうのがインターネットのすごいところかもしれない。 この時点で叔父がどのようなコマーシャルを見て、どのような過程で「これからの時代はインターネット」と思うのかは不明だ.... 最近私はこう思うのだ。 例えば原子力とか、遠赤外線とか、超伝導とか、原理はよく分からないけど「イメージとして語られていることば」というのが、少なからず世の中には存在する。 インターネットも、そういった「イメージで語られることば」になっているのだろう。 私はインターネットというものと付き合い出してから、かれこれ6年近くが経つ。 正直言って、これほど普及するとは思わなかった、というのが正直なところである。 私達の子供の世代は、生まれた時から既にあるものとして「インターネット」を認知するのだろう。 そう考えると、とても不思議な気持ちである。 いったいそういった環境で育つことで、我々の子供達はどんなものを生み出すのだろうか。 どんな人間に育って行くのだろうか? めずらしく真面目なテーマになってしまった。 私のように「インターネットでメシを食っている」人間にとって、インターネットとはいわば商売道具。 小学生くらいになったら、インターネットに興味を持つのかしらん、などと思っていたのだが.... どうやら子供の精神的な成長は、親の認識よりもずっと早いのだろう。 親としても、インターネットに関わるものとしても、認識を新たにする良い機会であった。 |
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