人との接触頻度が高いというのは都市の特徴ですよね。オンライン会議では生まれないアイデアが生まれたり。
オンライン会議は、新しい発見の場というよりも、すでに決まったことの追認の機能で使われていることが多いという印象です。どういうことかというと、目的と制限時間がほぼ決まっているため、偶発性のイベントが起きる機会がすくない。実際に人と会って話すと、もうちょっと話したいなという気になるじゃないですか。グルーブ感、あるいはバンドによるセッションのようなもの。zoom飲み会でも、疲れたらお終いにしようかってなりますけど、実際の飲み会だったら、疲れてもすぐに解散にはならない。それどころか、もう一軒行こうよとか、何なら今晩はうちに泊まれよ、みたいな、偶発性がある。でも、最近spatial.chat(スペチャ)を使ったけど、ダラダラ感はリアルっぽかった(笑)。
僕はメッセージのシグナルノイズ比(=SN比)だと思ってます。SN比って、オーディオマニアがよく使うワードなのですが、シグナルの中にノイズがどれだけあるかを示す数字です。品質を保つためにはノイズを減らさなければいけないけど、全部がシグナルになることはない。オンライン会議は、SN比でいうと、シグナルが多くてノイズが生まれにくい仕組みなのではないかと。
比喩としてよくわかります。桑田佳祐もエッセイで、自分のギターと歌だけが音程がずれている夢を見るって。それを山下達郎に話したら、デジタル上で音楽を作る時代は、どの楽器も音程が正確になるから、ずれるとすれば音声とギターだけになり、それは避けられないよという話になったと。
興味深い話ですよね。デジタルカメラも解像度が高くなって、撮影した背景が、どこまでも細かく再現されてしまうようになり、逆に人間の肉眼の限界を超えています。あんなふうに見えていますか? 僕は老眼だから高解像化してくれるのはいいかもしれないけれど(笑)、4Kモニター越しに等倍で見ても精細ですよね。また、我々はデジタル写真を見慣れすぎて、飽きてしまってもいる。今、写真の表現を追求する人たちの間は、フィルムを使ったり、もしくは、さらにさかのぼって、湿板式とか乾板式写真とか、さらにピンホール写真や、明治時代に使っていたようなカメラで撮っていたりする。さらには写真の出来上がりまですごく時間がかかるみたいなところにまで戻っていたり。
四隅が黒くなっているみたいな「ケラれた」写真は、タブーだったのに、逆にそれを追求して撮影したり。つまり、シグナルの比率が上がるのに対して、ノイズの追求が始まっている。そしてノイズを拾うにもセンスが求められるということでもある。
会話でも、ノイズを取れる人と取れない人で差は生じている。自分が情報を投入して、そこに情報が返ってきて、そこでインスパイアされたりする。そもそもアイデアって、誤読とか空耳と一緒なんですよ。勘違いとか聞き違いとかをきっかけに、なにか発想につなげられるかどうか。
シグナルだけの追求だと、それは、効率化社会であるとか資本主義の末路に向かってしまうと思います。つまり、すべてをデジタルだけで完結するように置き換えていく中で、それが正しいことかであるかのように”スクリーン・ドクトリン”的なものが生まれつつある。でも、コンピューターやデジタルテクノロジーが始まって間もない時代には、もっと多様な変化が起きていくだろうという予感があったはずなんですよ。でも今はとても線形、リニアに発展しようとしている部分もある。シンギュラリティーという考え方も線形思考だと思います。人間の思考は線形のほうが理解しやすいため仕方ないことだと思いますが、非線形による思考が今後はカギになる気がします。
ノイズはなるべく避けようって、まずは考えますよね。
そう、情報が欲しいときって、多くの人はシグナルだけを欲しがるんですよ。いわゆる大企業の頭の良い人たち相手に講演をすると、「じゃあ弊社はどうしたらいいのですか?」って質問が必ず来るんです。でもそれは、シグナルだけを求めている。スティーブ・ジョブズだって、ジョブズの発想法とか、プレゼンとかが人気ですが、ジョブズってたくさん失敗しています。
LisaもNeXTも失敗してますね。あと、ピクサーのエド・キャットムルの書いた『ピクサー流 創造するちから――小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法』を読むとジョブズがいかに、ピクサーの発展の邪魔をしたかという話が出てきます。そもそもハードウェアを売るというピクサーの当初のビジネスモデルは大失敗している。
そう(笑)、キャットムルは、ジョブズにジョン・ラセターの存在を最初隠していたそうですね。グラフィックボードを開発するテクノロジー企業なのに、アニメーターなんて雇ってるのがばれたら怒られるって(笑)。だから、「弊社はどうしたらいいですか?」と問われたら、「まずは、理解できない人を雇えばいいんじゃないですか」と(笑)。
ノウハウでも情報でもノイズごと受け取ったほうが面白いですよ。苦労もひとしおだけど、血肉になる。
わかります。ネット検索で調べたことは、すぐに忘れてしまうのも前後の体験が薄いから、つまりノイズごと物事を受け取っていないからでしょうね。でも難しいのは、ノイズを取り入れることと、テクノロジー不要論、ノスタルジー万歳などは違うということですよね。
僕の知り合いのフィルム愛好家たちは、僕もふくめてデジタルとアナログの写真の両方のテクノロジーが好きですね。デジタルの難点は、ブラックボックスの部分が大きすぎるところ。デジタルカメラを分解しても、まったくどんな仕組みで写真が生み出されるのかわからない。ソフトウェアに至ってはなにがなにやら(笑)。でも、一度フィルムを扱うと、写真が写る仕組みやどういう過程でそれが紙に写り込んでいくのかなどを掴むことができる。たしかに、画像編集ソフトのフィルターを使えば、自由にシャドーとハイライトの調整できますけど、一度、暗室の作業とかプリントのときに光を当てる経験をしないと、その原理は理解できないですよね。
いや、露光する光が現像機、乾板にあたるときに、光を遮る時間を調整しているんです。写真家のリチャード・アヴェドンは、露光のときに複数のアシスタントを使って顔の部位によって光を断続的にあてる工夫をして調整していたんですよ。指を蝶々みたいにパタパタパタと動かして調整するのが一般的ですが、専用の道具を自作してやっていたとか。